自分へのEulogyに何を書く?

僕がこれからやりたいことの一つに、自分へのEulogy(日本語訳:弔辞)を書くというのがあります。

故人に捧げるお別れのメッセージである弔辞を自分に書くなんて、常識はずれと思うかもしれませんが、今日は、そのことをお話ししましょう。

目次

友人が50歳になって意識したのは「死」

僕が弔辞を書こうと思ったのは、尊敬する友人が自分への弔辞をつくっていたからです。彼女はアメリカ人で、僕とほぼ同じ年。なぜこの年齢で弔辞を書こうと思ったのか、僕も見当すらつきませんでした。

僕が理由を尋ねたら、彼女はあっさりとこう言いました。

「私は常に、10年後に自分がどうなっていたいかをイメージして、周りに宣言しながら生きてきたの。50歳になったとき、死から逆算した人生を設計しようと決めて、自分への弔辞を書くことにしたのよ」と。

弔辞に書かれていたのは「どう生きたか」

彼女が綴った弔辞の内容を少しご紹介しましょう。

彼女は、北カリフォルニアにあるカーメル・バイ・ザ・シー (Carmel by the Sea)にある海を見渡すことができる素晴らしい家で、家族と、愛する犬や猫とともに静かに息を引き取りました。彼女の最期には、そばに多くの親しい人たちも集まっていました。

90歳まで生き抜いた彼女はこの30年、世界中の貧しい子供たちとともに生きました。貧しくて希望を見出せない子供たちに寄り添い、彼らが何になりたいかに耳を傾け、それを実現するための考えを伝え続けてきました。

彼女は、世界のあちこちに30ほどの学校を建設しました。学費はすべて企業からの支援で賄えるため、子供たちは無料で学べます。

また、基金を設立し、子供たちが安心して勉強できるようにもしました。世界のリーダーとして活躍できる優秀な人材を輩出し続けたのも、彼女の大きな功績でしょう。

彼女は愛と抱えきれないほどの思い出を抱え、静かに、とても幸せそうに微笑みながら、この世を去っていきました。

……これが、彼女の弔辞の内容です。彼女は50歳の時点でこのような人生を送ると決め、自分亡き後にこの弔辞が読まれることを計画したというわけです。

自分への弔辞が道標になる

彼女は弔辞をスマートフォンのメモに転記し、すぐに読めるようにしました。また録音した音源を用意し、繰り返し聞けるようにもして、実現すべく日々邁進しています。

彼女のこの取り組みを知り、僕は「自分もやるべきだ」とすぐに思いました。自分がどのような生き方をして、死んだあと、他の人に自分をどう紹介してもらうのか。それを弔辞にしておけば、僕の道標になると考えたのです。

それに、弔辞が完成したら、僕はそのような人物になるべく生きようとするでしょう。

さて、どんな弔辞にしようか。ワクワクしながら考えています。

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この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。

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