ビジネスの舞台に海外を選んだ理由の続きをお伝えしましょう。前回は、僕が「海外」「家族」に影響されていることをお伝えしました。
今回は「海外」と同じくらい影響を受けた「家族」、特に母方の祖父と父についてお話しします。
根っからの起業家だった祖父
僕の母方の祖父はとてもおもしろい人でした。戦後、長野県の戸隠村で養蚕を始めた祖父は、起業家という言葉がピッタリ当てはまる人生を歩んだ人です。
祖父は、さまざまな事業を手掛けながら、最終的に鎌倉で工場を建てました。扱っていたのは、ハンドラベラー。商品の値段や製造年月日などの情報をラベルに印字するアイテムです。印字されたラベルは商品に貼り付けることができるので、スーパーなどの小売店でよく使われていました。
祖父はドイツからハンドラベラーを輸入し、日本の市場に合うように改良してから販売していました。ドイツのテクノロジーを参考にしながら、日本で日本仕様に製作して全国販売をしていたのです。当時は、スーパーマーケットの全盛期。大きな需要があったこともあり、祖父は実業家として実績をあげ、財を成すことができました。

僕は中学生のときに日本に帰国したのですが、家の隣に母方の祖父母が住んでいたこともあり、祖父の起業家精神を間近で見ることができました。好奇心旺盛でまじめな祖父は、根っからの起業家でした。
多感な時期に、祖父の生き様を肌で感じることができたから、僕はビジネスの世界に興味を持ちました。僕をビジネスの世界に導いてくれた一人が祖父だといえるでしょう。
好奇心旺盛で、自由に生きたサラリーマンの父
16年前に他界した父は、産経新聞経済部のジャーナリストをしていました。会社に所属していたので雇用形態はサラリーマンでしたが、ジャーナリストだったからか、とても自由に働いていたと記憶しています。父もまた好奇心旺盛な人間でした。世界中のニュースを熱量高く追いかけながら、生きることを楽しんでいたと思います。
日曜日の夜になると、祖父と父は集まり、父の手料理を囲みながら会話を弾ませたのですが、これが僕はとても楽しみでした。世界情勢やビジネスの話に盛り上がる祖父と父はとても楽しげで、その光景は今も鮮明に思い出すことができます。
まじめで根っからの起業家だった祖父と、好奇心を満たしながら自由に生きた父。いつのまにか、僕も祖父や父のように世界を相手にしながら生きたいと望むようになったのです。
