前回のポストでもお話ししましたが、僕の父はジャーナリストでした。豊かな好奇心と自由な心の持ち主だった父は、世界中で起こるニュースを追いかけ、伝えるという人生をまっとうしました。
僕がビジネスの道に進もうと思ったのは、父の進言があったから。今回はそのことをお伝えします。
背中を押してくれた父の言葉
そんな父の生き様に憧れていた僕は、いつからか新聞記者になろうと考えるようになりました。実際、就活がはじまった頃に、僕は父に相談したのです。
「マスコミの道に行きたいけど、テレビと新聞、どちらがいいと思う?」と。すると父は、こんなふうに言いました。
「私から一番輝いて見えたのは、日本を引っ張ってきたソニーなどの製造業や、総合商社で日本の有形および無形の財を海外にガンガン展開して、ビジネスをつくっていくという、あのダイナミックな発想と行動力がある仕事だった。私はニュースを追う人生を歩んできた。だけど君は、ニュースを作る側の人間、世の中の経済の流れの中心に身を置いたらおもしろいんじゃないか?」
父のこの言葉に、僕は大きな衝撃を受けました。
そして、祖父のように、僕も世の中が必要としている新しい価値を見つけ、人々が必要とする状態で提供できるようになりたい。父の言うように、ニュースになるようなことを海外でやってみたいという夢を抱くようになったのです。
今の僕があるのは、この父の言葉があったからこそ。父が僕の背中を押してくれたのです。
目標は”日本と海外をつなぐ”こと
大学卒業後、商社に入社した僕は、さまざまな海外プロジェクトに関わりました。特に、イエメン、トルコ、グアテマラ、エジプトなどで短期プロジェクトに携わったのは、僕にとって大きな財産となっています。
その後、外資系の企業に転職したのですが、僕が希望する「日本と海外をつなぐ仕事」は経験できませんでした。それならば自分でやってみようと考え、日本を飛び出してアメリカに渡り、現在に至るというわけです。
僕はこれからも、好奇心を持ち、同志でもある仲間とともに新しい価値を世に提供する仕事をしていくつもりです。事業をつくる過程を経験できるのは、僕に大きな生きがいと深いやりがいを感じさせてくれます。
ここまで、僕がビジネスの場に海外を選んだ理由やきっかけをお話ししました。
日本にはあるのに海外にはないというビジネスはまだまだたくさんありますし、海外だから成功できるビジネスも多々あるはずです。興味を持っているのなら、好奇心豊かに、自由に、やりたいことに挑戦する人生を選んでみてはいかがでしょうか?
このブログがそのきっかけになれば、僕はこの上なく幸せです。