「プロフェッショナル」という言葉を聞いて、あなたはどんな人物を思い浮かべますか?
高い専門知識、卓越した技術、豊富な経験。もちろん、それらは不可欠な要素です。しかし、ある医師たちとの対話の中で、僕は「本物のプロフェッショナル」が持つ、もう一つの、そして最も重要な資質に触れる機会がありました。
その気づきの旅は、今から約17年前の、僕自身の個人的な経験から始まります。それは、2008年9月に亡くなった僕の父親のがん治療の経験です。

きっかけは父のがん治療で直面した「見えない壁」
父は当時、がんの数値マーカーが高いにもかかわらず、PETやMRIなどあらゆる検査をしても原因箇所が特定できない「原発不明がん」と診断されました。体のどこかに潜んでいるはずのがんが見つからない。そんな出口の見えない状況で、治療方針への違和感が募っていったのです。
当初は、抗がん剤を体中に流したり、放射線治療を試したりするしかなかったのです。でも、弱った体に対する治療として、これらは本当に適切なのかとやるせない思いで過ごしていました。
そのうち、藁にもすがる思いで、僕は独自に治療法を調べました。そして、宮崎大学で行われている「温熱療法」という東洋医学的アプローチにたどり着きます。がん細胞が高温に弱い性質を利用した治療法です。
希望を打ち砕いた、権威ある医師の一言
僕は、当時トップクラスと言われた国立がんセンターの担当教授に、この温熱療法との併用を相談しました。しかし、返ってきた言葉は、僕の期待を打ち砕くものだったのです。
「もしそういうことをされるのであれば、うちではもう診られませんからね」
その言葉は、西洋医学という巨大なシステムの、冷たい壁のように感じたのを今でも覚えています。そこには、患者一人ひとりの状況に寄り添う姿勢よりも、確立された治療プロトコルを優先する空気があったのです。
この経験は、僕に大きな問いを投げかけました。

「0か1か」の世界で感じたジレンマ
西洋医学は、いわば「0か1か」の二者択一の世界。症状に対して決まった治療法があり、それに当てはまらなければ「原因不明」となる。しかし、医師はプライドからか、その構造からか、「わからない」とは決して言いません。
「わからないのに、こちらが他の治療法を試そうとすると排斥する」
あの時感じたのは、そういうジレンマでした。この経験が、僕にとって「本物のプロフェッショナルとは何か」を深く、そして長く問い続ける原点となったのです。
「単なる専門家ではない、真に人の役に立つ存在とは、一体どういうものなのか」という疑問に対する答えのヒントを、僕は10年以上の時を経て、ある出会いの中に見出すことになります。
─後編へ続く─