失敗を糧に掴み取った成功│ある起業家のリベンジストーリー(前編)

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僕はふたたび海を越えた

「アメリカでビジネスを成功させる」というのが、僕の長年の夢でした。しかし、夢の実現への道のりは、決して平坦でなかったのです。

2012年。

僕は家族と共に、ロサンゼルスの地に降り立ちました。実はこの渡米、僕にとっては二度目のものでした。

初めての挑戦は、2007年。先輩が開発したソフトウェアを、アメリカのシカゴで展開するビジネスに乗り出したのは、僕が34歳のときのことです。

当時の僕は、「必ず成功できる」と確信していました。それだけのキャリアとスキルを積み上げてきたという自負に裏打ちされた自信があったからです。

よもや、半年で日本に舞い戻ることになるとは、みじんも思っていませんでした。 現実の厳しさによる洗礼は、僕の夢とプライドを見事なまでに打ち砕いたのです。

徹底的な振り返りの日々

帰国後、僕は1秒たりとも時間をムダにしないと決心しました。家族を養うという責任がある以上、悔しさや感傷に浸っている暇はなかったのです。

「どうして失敗したのか?」

「どうすれば成功できるのか?」

「そのために不可欠なスキルは何か?」

徹底的に失敗の要因を洗い出し、スキルを身につけることに全力を注ぎました。

家族への責任感に加えて、「40歳になる前に、アメリカで再チャレンジしたい!」という思いが、僕を突き動かす原動力だった気がします。

ようやく巡ってきた再挑戦のチャンス

最初の失敗から5年後、僕は再びアメリカ挑戦のチャンスを掴みました。

今回の舞台に選んだのは、ロサンゼルスです。シカゴでリベンジを果たしたい気持ちも少なからずありましたが、それよりも強い根拠からロサンゼルスを選びました。

最初の挑戦時、僕は致命的な見落としをしていたのです。それは何かというと、「アンカークライアントの存在」でした。

アンカークライアントとは、長期契約のクライアントのことです。ビジネスの基盤を固め、当面の収入を確保するには、アンカークライアントを得ることが必須だったのです。当時の僕はそこに気づいていなかったことが、失敗に至った大きな要因だったとわかりました。

背水の陣で臨んだ二度目の挑戦。今度こそ、失敗は許されません。そのためには、アンカークライアントをしっかり獲得することが先決。ロサンゼルスを再挑戦の舞台に選んだ理由は、そこにあったのです。

次回の記事(後編)予告

結果的に、最初の挑戦の失敗で得た教訓が、二度目の挑戦が成功する鍵となりました。

次回の記事では、僕が二度目の挑戦までの5年間で何を学び、どのように活路を切り開いたのか。そのあたりを詳しくお伝えします。

この続き(後編)が以下のリンクからご覧いただけます。


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この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。

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