LAロックとの出会いとアメリカ横断旅行│なぜアメリカなのか(前編)

僕はよく、「なぜアメリカをビジネスの拠点に選んだのですか?」と尋ねられます。その答えは、僕の青春時代に遡ります。

目次

音楽が僕をアメリカに導いた

中学生の頃から洋楽に夢中だった僕は、特にローリングストーンズのキース・リチャーズビートルズのジョン・レノンに心を奪われていました。

イギリスでの生活経験があったから、余計に彼らの音楽には親近感を抱いたのかもしれません。僕にとって彼らは、単なるミュージシャンではなく、憧れのアイコンでした。

キース・リチャーズがブルースの巨匠ロバート・ジョンソンやマディー・ウォーターズから影響を受け、ジョン・レノンがチャック・ベリーに影響を受けたことを知り、僕は彼らのルーツにも興味を持ちました。

1987年、15歳の僕はGuns N’ Rosesの『アペタイト・フォー・デストラクション』というアルバムと衝撃的な出会いを果たします。

このアルバムによって、僕はLAロックという音楽ジャンルに魅了され、聴くたびにアメリカへの憧れが一層強くなったのです。LAという土地は、音楽の聖地として僕の心に深く刻み込まれました。

今となっては、1枚のアルバムが、運命的に僕をLAに導いてくれたような気がしています。

19歳の大冒険

19歳になった夏、僕は友人と共にアメリカ横断の旅に出ることにしました。ニューヨークからロサンゼルスまでの旅程を思いついたとき、ワクワクと胸が高鳴ったのを今も覚えています。

旅費に限りがあるため、Greyhound(長距離バス)とAmtrak(鉄道)を乗り継ぐというのが唯一の移動手段。Greyhoundは危険という噂もありましたが、若さゆえか怖さはさほど感じませんでした。

最初の目的地はニューオーリンズ。鎌倉にあった「TIPTINA」というバーのマスターに聞いた店名の由来、「Tipitina’s」というライブハウスをこの目で見たかったのです。

オールマン・ブラザーズ・バンドが演奏した伝説的なこのライブハウスは、ブルースとロックンロールへの情熱をさらに掻き立てました。

エルパソでは、どうしてもウエスタンブーツが欲しくてトニーラマの旗艦店(フラッグシップショップ)へ。銀色のパイソンレザー製ブーツを手に入れ、有頂天になったのを記憶しています。

そして最後にたどり着いたロサンゼルスでは、Guns N’Rosesゆかりの「Whiskey a Go Go」に行きました。ところが、21歳未満は入店禁止。仕方なく外で座り込んで、ドアが開くたびに漏れ出る音楽に耳を傾けました。当時まだ無名だったカウンティング・クロウズの「Mr. Jones」を断片的に覚えたのがこの時です。

行く先々で新しい発見の連続。まさしく冒険のような旅でした。バス停で浮浪者と隣り合わせたり、見知らぬ土地で道に迷ったりした経験も、全てが自分自身を成長させる糧となったのは確かです。

この旅があったからこそ、今でも僕は新しい挑戦を恐れず、常に新たな一歩を踏み出す勇気を持ち続けているのでしょう。

後編もお楽しみに

次回の記事では、なぜ僕がアメリカをビジネス拠点として選んだのか。その核心についてお話しします。

若き日に魅了され、運命のようにたどり着いたアメリカ。今もなお「アメリカンドリーム」を追い続ける僕にとって、可能性の宝庫のようなフィールド、それがアメリカなのです。ぜひ後編もお楽しみください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。

目次