大会もいよいよ佳境に入ってきました。この夏、僕は日本代表を追いかけて現地をまわってきたのですが、その道中でずっと引っかかっていたのは、試合の中身よりもむしろ「お金」の話です。
サッカーのワールドカップが6月11日に開幕したのは、ご存じのとおりです。アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国にまたがる開催で、出場は前回の32から48チームに、試合数は64から104まで膨らみました。アメリカでの開催は1994年以来、じつに32年ぶり。その1994年は24チーム・52試合でしたから、四半世紀あまりで規模はほぼ倍になった計算です。
この大会は、ファウンダーの目で見ると「熱狂をどこまでお金に換えられるか」という壮大な実験になっていました。そこには、見過ごせない教訓が転がっていたんです。
世界一の祭典が、桁違いの集金装置になっていた

まず、チケットの値段が普通ではありませんでした。開催国アメリカ代表の試合ともなると、いちばん安い席でも1,000ドル、日本円にして約16万円を下りません。開催国というだけで注目度が跳ね上がり、値段もそれに引きずられていたわけです。
本来ワールドカップは、決して裕福ではない人が何年もかけてお金を貯め、自国の勝利をこの目で見届ける。そういう「人生をかければ手が届く」祭典だったはずです。その入り口が、いきなり16万円から始まる。
背景の数字もはっきりしています。FIFAは今大会のサイクルで約90億ドルの収入を見込むと報じられています。チームが32から48に、試合が64から104に増えたぶん、放映やスポンサーに売れる枠も一気に増えました。祭典の拡大は、そのまま集金の拡大でもあるわけです。
決勝のスイートは、1人1,360万円だった

象徴的な話をひとつ。僕が入っている仲間内のグループチャットで、来週ニューヨークで開かれる決勝のプライベートスイートが話題に出ました。会場はメットライフ・スタジアム、24人が入る個室です。ある人が「押さえておくから、誰か一緒に出資しない?」と持ちかけてきました。
金額は「24人で8万5,000ドル」。それを聞いた別の人が「じゃあ1人あたり3,500ドルくらいか、意外と安いね」と返しました。ところが、そうではなかった。「ごめん、伝わっていなかった。8万5,000ドルは1人あたり。24人ぶんで204万ドル、日本円で約3億3,000万円」。1人に割り戻しても約1,360万円です。チャットは一瞬、静まり返りました。
さらに別の人は「私の席はスイートですらないのに、2席で2万5,000ドル、約400万円と言われた」とこぼしていました。ホテルも同じで、普段150ドル、日本なら1万円ほどで泊まれる部屋が、10倍の値をつけている。いつものビジネスホテルが一泊10万円で請求されるようなものです。
面白いのは、この金額に本気で乗ろうとする人が現実にいることです。高すぎると言う僕の隣で、その値段にちゃんと価値を見出す人がいる。価値は人によってまるで違うのだと、あらためて突きつけられました。
給水タイムの正体は、コマーシャルだった
商業化は、ルールの中にまで入り込んでいます。今大会には、前半の途中で選手が水分を補給するウォーターブレイクが設けられました。名目は暑さ対策、選手の脱水を防ぐためです。ですが試合が止まるあの数分間は、放映側にとって格好のコマーシャル枠でもあります。
選手のためという大義名分と、放映権で稼ぎたいという本音が、同じ数分間に同居している。仲間の一人は「強欲のツケは、いずれ払わされる」という趣旨のことを書いていました。裾野を広げるための大会が、その裾野にいるはずの普通のファンを置き去りにしている。ここに、僕はいちばん危うさを感じています。
値付けは、経営そのものだ
思い出すのは、アメリカのサッカー市場がどう育ったかです。全盛期のベッカムがロサンゼルスへ来て火をつけ、のちにメッシがやってきて、メジャーリーグサッカーの熱は一気に伸びました。スターというコンテンツが、市場の裾野を広げたわけです。今回の拡大も、本来はその延長で、もっと多くの人を巻き込むはずでした。
ところが値付けが、その狙いを裏切っている。ここにファウンダーとしての学びがあります。値付けは経営そのものであり、「取れるだけ取る」が正解とは限らない。目先の売上を最大化しにいくほど、ファンや市場という、いちばん大切な資産をやせ細らせてしまうことがある。熱狂やブランドは、換金しながら同時に育て続けてこそ、次の4年につながります。
僕はといえば、値上がりした宿を避けて、会場からずいぶん遠い街に泊まっていました。祭典の熱は浴びたい。けれどその熱の値段には、静かにノーを突きつけながら。その熱狂の頂点となる決勝は、もうまもなくです。

