「タケシ、タケシ!」メキシコで僕が一瞬で受け入れられた理由

この夏、ワールドカップの日本代表を追いかけて各地をまわる中で、いちばん心に残ったのは、試合の勝ち負けよりも、ある「気づき」でした。

6月、日本代表を追ってメキシコのモンテレイを訪れたときのことです。スタジアムの周りは、なぜか日本のユニフォームを着たメキシコ人であふれていました。取材に来ていたオーストラリアの報道局に「どうしてメキシコでこんなに日本が好かれているのか」と聞かれ、僕は半分冗談で「日本とメキシコには、どこか通じ合うものがあるのかもしれませんね」と答えました。

けれど現地で過ごすうちに、その”通じ合うもの”の正体が、だんだん見えてきました。海外でモノやサービスを売るとき、いちばん効くのは値引きでも広告でもない。何十年も前に蒔かれた「コンテンツの種」なのだと、僕は強く実感したんです。

名前を言った瞬間に、距離が縮まった

きっかけは、自分の名前でした。「タケシ」と名乗ると、現地の人が「タケシ!タケシ!」とすぐに覚えてくれる。妙に嬉しくて、なぜだろうと思っていたら、理由はある古いテレビ番組にありました。

『コメットさん』、現地名セニョリータ・コメット。1967年から翌年にかけてTBS系で放送された実写ドラマで、原案・脚本を『ウルトラマン』などの佐々木守さん、漫画版の作画を『魔法使いサリー』などの横山光輝さんが手がけました。

魔法のバトンを持った星の国のお姫様が、地球で子守りをしながら奮闘する物語。全79話で、途中からは日本初のカラー実写シリーズにもなりました。この番組がメキシコで社会現象になり、主演の九重佑三子さんは「メキシコで最も有名な日本人」とまで言われる存在になったんです。

じつは、この番組は僕にとっても懐かしい作品です。ただ、僕が子どもの頃に親しんだのは、1978年から放送された大場久美子さん主演の第2期のほう。メキシコで社会現象になったのは、それより前の九重佑三子さん主演の第1期のほうですね。ひと回り上の世代が夢中になった作品が海を渡り、半世紀を超えていまも現地で生き続けている。そう考えると、少し不思議な気持ちになります。

そして劇中で主人公が世話をするのが、河越家の兄弟「タケシ」と「こうじ」。つまりメキシコの人にとって「タケシ」は、子どもの頃に親しんだ、愛すべき名前なわけです。名乗った瞬間に距離が縮まったのは、僕の人徳ではなく、40年以上前のコンテンツのおかげでした。

現職の大統領も、この番組で育った

この浸透ぶりは、単なる懐かし話では済みません。2025年、メキシコのシェインバウム大統領が、子どもの頃いちばん好きだったテレビ番組として、この『セニョリータ・コメット』の名前を挙げたと現地メディアが報じています。魔法のバトンで、変えるべきものを変えていく。その姿に惹かれたのだ、と。

一国のトップが、公の場で日本のコンテンツを”自分の原体験”として語る。しかも1985年のメキシコ地震で原版が失われたあとも、番組は復元され、再放送され、いまも愛され続けている。半世紀近く前の一本のドラマが、それだけ深く現地の記憶に根を張っているわけです。

日本のコンテンツが海を渡った例は、ほかにもたくさんあります。メキシコでは古くから『鉄腕アトム』や『マジンガーZ』が茶の間に届き、1996年にスペイン語吹き替えで放送された『ドラゴンボールZ』で人気が沸騰しました。

その後も『ポケモン』『ナルト』『ワンピース』、サッカーつながりの『キャプテン翼』と、日本でおなじみの作品が次々に根づいていった。国境を越えて子ども時代の記憶に入り込んだ物語は、その国の人たちの中に、静かに親日感情を積み立てていったわけです。

コンテンツは、最強の「先行投資」だ

ここに、ファウンダーとしての大きな学びがあります。海外市場は、僕たちが売り込みに行く前から、すでに耕されていることがある、ということです。

コメットさんやドラゴンボールを届けた人たちは、いつか日本の起業家がメキシコで歓迎されるように、と考えて作ったわけではないでしょう。ただ、いい物語を誠実に届けただけ。その積み重ねが、何十年もかけて「日本っていいよね」という感情の土壌を育ててくれていました。僕が名前ひとつで受け入れられたのは、その土壌の上に立たせてもらったからです。

これは、お金で一夜にして買えるものではありません。広告費をいくら積んでも、40年分の親近感は手に入らない。裏を返せば、コンテンツや文化は、取引が始まるずっと前に信頼を積み立ててくれる、最強の先行投資だということです。

自分たちの物語も、いつか誰かを迎える地ならしになる

だから僕は、海外展開を「今から市場に切り込む」ことだとは考えていません。すでにある親近感の土壌を見つけて、その上に立たせてもらう。そういう感覚に近い。

そして同時に、自分たちがいま届けているブランドや物語も、いつか先の世代の誰かを迎え入れる地ならしになるかもしれない。目先の売上には表れないけれど、コンテンツを長期の資産として捉える視点は、海外を目指すすべてのファウンダーにとって、じわじわ効いてくるはずです。

モンテレイで「タケシ!」と呼ばれるたびに、僕は名前も知らない40年前の作り手たちに、静かに礼を言っていました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。