【第2回】75歳のアメリカ人紳士が体現した本物のアメリカンドリーム

2025年7月に公開したシリーズ記事を再編集してお届けしています。第1回はこちら。

前回は、ロサンゼルスのゴルフ場で出会った75歳の紳士スコットさんと、日米の「道徳」や「中庸」をめぐって語り合ったことを書きました。

実はこのスコットさん、想像を絶する壮絶な人生を歩んできた方だったのです。今回は、彼がいかに逆境を乗り越え、本物のアメリカンドリームを体現したのかをお伝えします。

ディスレクシアに苦しんだ少年時代

スコットさんは1950年生まれ。大学は卒業していません。理由は、高校時代に抱えていた「ディスレクシア(Dyslexia)」でした。

ディスレクシアとは、文字の読み書きに困難を抱える学習障害の一種です。彼の若い頃はこの概念がほとんど知られておらず、勉強についていけない彼は周囲から「出来損ない」と見なされ、特に父親から厳しく扱われたといいます。

文字が読めない、書けない。その苦しみは、僕の想像をはるかに超えるものだったはずです。本人は必死に頑張っているのに、努力が足りないと責められる。今でこそ脳の特性として理解が進んでいますが、当時はただの「怠け者」として片づけられてしまったのです。

ハリウッドにも、トム・クルーズやスティーブン・スピルバーグ、キアヌ・リーブスなど、ディスレクシアを抱えながら世界的な成功を収めた人がいます。彼らに共通するのは、苦手を言い訳にせず、自分なりのやり方を見つけ抜いたこと。スコットさんの人生も、まさにその系譜にあるのだと、話を聞きながら感じました。

全米トップ級のテニス選手から路上生活へ

勉強が苦手な一方で、スコットさんには驚くべき才能がありました。スポーツ、とりわけテニスです。

高校時代には全米トップ10に入る腕前で、ジミー・コナーズのような名選手とも渡り合ったといいます。身長180センチを超える体格に、ブロンドのハンサムな容姿。誰もが羨む存在だったことでしょう。

ところが、彼の人生は予期せぬ転落を迎えます。父親との確執から勘当され、住む家を失い、ロサンゼルスで路上生活を余儀なくされたのです。輝かしいテニスの未来も、恵まれた家庭も、すべてを失いました。

どん底から這い上がって掴んだ富

路上から抜け出すため、スコットさんは建設現場で働き始めます。日雇いの仕事でコツコツと稼ぎ、生きるために必死だったそうです。

転機は25歳の頃。医者から「あなたはディスレクシアだ」と診断されます。そこで初めて、彼は自分の読み書きの苦手さが「怠け」ではなく「特性」だったと知りました。

そこからの努力は壮絶でした。誰よりも熱心に文字を学び、読み書きの力を磨いていきます。そして建設現場で得た知識と新たに身につけた力を武器に、建設関連の事業を次々と立ち上げ、最終的には莫大な富を築き上げました。

まさに自らの才覚で逆境を覆した、アメリカンドリームの体現者です。

現在のスコットさんは事業を引退し、悠々自適にゴルフを楽しんでいます。1ラウンド数万円もする高級コースを気兼ねなく回れるほどの資産を、その手で築いたのです。

どん底から這い上がった彼の人生は、僕に計り知れない勇気をくれました。失敗や挫折は終わりではなく、次へ進むための布石になる。スコットさんはそれを、言葉ではなく生き様で証明してみせた人でした。

そしてこの彼の知恵が、僕が温めていたある構想と結びつき、新たな扉を開くことになります。次回、その出会いがどんな未来を動かしたのかをお伝えします。


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この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。