日本に帰ってきたら、想像以上の暑さでした。ロサンゼルスの夏も暑いことは暑いのですが、湿度がまるで違います。街を歩いているだけで体力を持っていかれる感覚は、久しぶりです。
そんな真夏の東京を金曜に出て、週末は軽井沢で過ごしてきました。
東京と10度近く違う軽井沢の夏
東京の夏がどれほど暑いか。一例として、去る7月20日、東京都心は35.0℃を記録して今年初の猛暑日となりました。同じ日、全国252地点で猛暑日を観測しています。7月の日本の平均気温は、記録のある中で歴代4番目の高さでした。
一方の軽井沢は、標高がおよそ1,000メートル。8月の平均最高気温は26℃前後で、東京とはおおむね5〜10℃の差があります。実際、東京が30度後半だった週末に、軽井沢は20度台前半でした。気温が最も上昇する昼過ぎでも、30度に届きません。
同じ国の、同じ週末で、こんなにも違うわけです。避暑地というのは気合や我慢の問題ではなく、標高と地形が作っている仕組みなのだと、体感として腑に落ちました。
108ホールが語る避暑地の底力

滞在中はゴルフを2ラウンド楽しみました。ひとつは中軽井沢カントリークラブ、もうひとつは軽井沢72ゴルフの北コースです。
軽井沢72は、名前に「72」とありますが、いま実際にあるのは6コース108ホールで、日本最大級の規模です。1971年に72ホールでオープンしたときの呼び名が、そのまま残っているんですね。北コースは毎年8月にNEC軽井沢72ゴルフトーナメントが開かれる、女子プロの舞台として知られています。
おもしろいのは、この一帯がもともと湿地を含む原野だったことです。西武グループはコース設計をアメリカの著名設計家ロバート・トレント・ジョーンズに依頼し、彼は荒地を緑化する手法を持ち込みました。
池を数多く掘り、掘って出た土で地盤をかさ上げして水はけを改善し、池の水はコースへの散水に回す。厄介だった水を、そのまま資産に変えてしまったわけです。
明治期に宣教師が軽井沢を「屋根のない病院」と呼んで広めてから、130年以上。そこにゴルフ場が生まれ、ホテルが建ち、新幹線が通り、いまも人が集まり続けています。一過性のブームではなく、100年単位で回り続けているビジネスです。涼しさという動かしようのない資産の上に、これだけの産業が積み上がっている好例だと感じます。
移動時間まで休息に変えるという発想

帰りは、ご一緒した経営者の先輩と北陸新幹線のグランクラスに乗りました。実は、僕自身はグランクラスの利用は初めてでした。
シートは最大45度まで倒れて、体がすっぽり包み込まれる感覚。フルフラットにこそなりませんが、飛行機のビジネスクラスに近い居心地でとても快適。東京までの短い時間でも、これならしっかり休めます。
僕はずっと、移動は体力を消耗する最たるもの、とどこかで決めつけていました。でも座席のクラスを変えるだけで、移動そのものが心身の回復の時間に変わるんだと実感。限られた予算をどこに配分するか、その優先順位を見直すきっかけになりました。
英気を養うことも、経営者の仕事
日本の夏は、年を追うごとに益々厳しくなっていくはずです。そのなかで涼しい場所へ移動して数日を過ごすのは、単なる贅沢ではありません。思考や判断の質を保つための、価値ある投資だと思っています。
暑さで消耗した状態の自分が下す決断は、涼しくて快適な場所で下す決断とは確実に違います。経営の現場では、その差がそのまま数字に出るのです。だとすれば、移動費や宿泊費は経費というより、思考のコンディションを整えるためのコストだと考えたほうがいい。海外に住んでいると、この「環境を選ぶ」という感覚がより強くなります。
週末は、朝から京都でホテルを視察し、そのまま志摩へ移動して伊勢神宮を参拝、熱海を経由して帰る予定です。来年の企画に向けた下見も兼ねています。 暑さから逃げるのではなく、涼しい場所で頭を冷やして次を考える。夏の過ごし方ひとつで、秋からの動き方はきっと変わります。

