前ポストの続きです。
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ここでは、僕の基本的な性質や考え方を育み、さらには「ファウンダー思考」の確立に大いなる影響をもたらした節目を確認していきます。
思考形成の基礎を築いた時期
僕の場合、幼少期をロンドンとニューヨークという異文化の中で過ごしたことが、旺盛な生活力と適応力を身につけるための基礎になっている気がします。
日本に帰国したのは、中学1年生という多感な時期。僕は、いわゆる「帰国子女」として中高一貫校に編入しました。当時を思い返してみると、日本社会になじむための「キャラクター」を無理して演じていた気がします。
進学先として、 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(通称:SFC)を選んだ僕は、それこそ「水を得た魚」のようにのびのびと過ごすようになりました。というのも、SFCは既存の学問の枠にとらわれることも、学年により区別されることもなく、自由に科目選択ができたからです。それだけでなく、自分自身の意見を言うことが重視される校風は、幼少期を欧米で過ごした僕にとっては実になじみやすいものでした。 「自分の意見をしっかりと発信する」「自身の信念に基づき行動する」という僕の強みは、SFCで培われたと考えています。
違和感や失敗を経て確立されたファウンダー思考
大学卒業後に新卒入社した総合商社・日商岩井は、良くも悪くも日本的な体育会系の社風でした。日本的という時点で、僕にとってはすでに違和感があったのは否めません。
そんな中でも唯一、大きな糧となったのが、イエメン、グアテマラ、エジプト・アラブ、トルコなどへの出張でした。今までの常識など一切通用しない異国の地でのプロジェクトは、僕の中にグローバルビジネスのやりがいを植え付けてくれました。
日商岩井を退職して外資系企業へ転職した頃から、僕の「海外挑戦」への夢は熱を帯び始めます。その後、外資系のベンチャー企業で多くの成功体験をしたり、ビジネス観の礎となるような書籍と出会ったりしたことも僕の財産になっています。
ただ、今日まで全てが順風満帆だったわけでは決してありません。外資系企業で、圧倒的な成果と自信を得た僕は、いよいよ海外に軸足を移すべく、とあるベンチャー企業の開発プロダクトを売り込むために渡米しました。ところが、結果はあえなく撃沈。わずか半年で、帰国を余儀なくされたのです。
悔しい体験でしたが、心が折れることはありませんでした。むしろ失敗の反省と検証から、グローバルビジネスにとって最重要なものに気づけたのです。
今となっては、違和感や失敗さえも、僕の中のファウンダー思考を確固たるものにするためには欠かせない要素だったと感じています。
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