先日の母の日。妻と、友人夫婦との4人で、ロサンゼルスのある場所へ出かけてきました。場所は、ロスの住宅街の中にひっそりとある「秘密のブルースバー」。
実はここ、何の許可も取っていないであろうガレージを改装した、まさに地元密着のお店なんです。
ロスに何年も住んでいるのに、そのときまで存在すら知らなかったこの場所で、僕は「ロサンゼルスで失われつつある音楽の魂」に出会いました。今回はその体験を書き留めておきたいと思います。
ブルースとの出会いはローリング・ストーンズ

実は僕、無類のブルース好きなんです。きっかけは中高生の頃に夢中になったローリング・ストーンズ。特にギタリストのキース・リチャーズに惚れ込んで、彼の自伝を読み漁りました。
そこに出てくるのが、ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズといったブルースの巨匠たちです。「ロックの原点ってブルースなのか」と気づいてから、関連書を読みあさり、レコードを聴き込みました。
ブルースが生まれたのは、ミシシッピ・デルタの綿花地帯。奴隷として、あるいは小作人として過酷な労働を強いられていた黒人の人々が、仕事の辛さや、お母さんへの想い、好きな女性のこと、寂しい人生のなかにあるささやかな楽しみを歌い上げた音楽。それがブルース発祥の背景なんです。
やがて、ミシシッピ川を北上してシカゴへとたどり着き、エレキギターを得て新しい形に進化していくんです。これがいわゆる「シカゴ・ブルース」で、後のロックンロールの直接の母体になっていきます。
最近のロスから生演奏のバンドが消えている
1990年。僕は、アメリカ横断の旅をしてロサンゼルスに到達。ウィスキー・ア・ゴーゴーやロキシーシアターといったサンセット・ストリップの伝説的なライブハウスの前で、これからの自分の人生を妄想していました。80年代から90年代にかけてのロスは、世界中の音楽シーンを牽引していた街でした。
ところが、最近のロスから「生演奏のバンド」はどんどん消えています。主流はラップやDJ、テクノ系のサウンド。ブルーノ・マーズのような楽器演奏に重きを置くアーティストもいますが、彼は例外的な存在です。
メロディーよりリズム重視の時代の流れの中で、生のギターやハーモニカを聴ける場所が、本当に減ってしまいました。
僕は34歳のとき、シカゴで起業して大失敗したという過去があります。シカゴにいた4ヶ月間、毎晩のように現地のブルースバーに通っていました。寂しかったから、というのが正直なところです。
それでも、本場のブルースに包まれる時間が僕の心を救ってくれたのは確かです。あの感覚を、ロスでもう一度味わいたい。ずっとそう思い続けていました。
住宅街のガレージに、古き良きアメリカが残っていた

2ヶ月ほど前、友人のフィアンセが「すごい場所を見つけた」と教えてくれました。それが今回訪れたガレージ・ブルースバーです。
着いてみてビックリ。スラム街と呼べるような住宅街の一画に、本当にただの「ガレージ」を改装しただけのお店があるんです。許可なんて絶対に取っていないと思います(笑)。お客さんはほぼ全員が地元の黒人の方々で、観光地化された雰囲気はゼロでした。
演奏の合間に振る舞われるお食事の前に、みんなで手を合わせて祈りを捧げる。15ドルでマカロニ&チーズやグリッツ(南部料理の定番)、チキンの煮込みが振る舞われる。最初は「下痢しないかな」と警戒した僕も、一口食べたら本当に美味しくて、結局しっかりおかわりしてしまいました。
そして何より忘れられないのが、お客さんたちの姿です。
緑の帽子に緑のネクタイ、洒落た柄のジャケット。そして足元には、ピカピカに磨き上げられた鮮やかな緑の革靴。そんな粋な装いに身を包んだお爺さんが、杖をつきながら軽やかに踊る。そのリズムに合わせるように、お婆さんも優しく身体を揺らして踊っている。なかには鼻に酸素チューブをつけたままハーモニカを吹いている方もいて、その姿に思わず胸が熱くなりました。
決して豊かな環境ではない。それでも、音楽を中心にみんなが幸せそうで、お互いに分け合って、神様に感謝して、女性を称えて、踊って楽しむ。これこそが「古き良きアメリカ」だと、心の底から感じました。
治安は気になる、それでもまた行きたい場所
正直、場所が場所なので、暗くなる前に切り上げて帰ってきました。そこは譲れません(笑)。
でも、また行きたい。いや、必ず行きます。
ロサンゼルスという街の本当の多様性と、どんな環境でも自分たちで幸せを見出していく人々の強さ。それを思い出させてくれる、僕にとって特別な場所になりました。 派手なライブハウスやおしゃれなクラブの陰に、こうした地元の音楽コミュニティがまだ生きているんですね。
そのことを知れただけでも、母の日の夜の収穫としては十分すぎるくらいでした。


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