2025年12月27日。
身を切るような寒さの中、僕は鎌倉にいました。
目的は、次女の成人式の前撮りです。
長女のときはコロナ禍の真っ只中で、卒業式も入学式も、そして成人式さえも叶いませんでした。だからこそ、次女のこの「ハレの日」は、僕たち家族にとって単なる写真撮影以上の意味を持っていたのです。
場所は、鎌倉・妙本寺。
美しい紅葉と静寂に包まれたこの場所で、僕はファインダー越しの娘を見つめながら、40年前の記憶にタイムスリップしていました。

記憶の中の「泥沼」と目の前の「感動」
妙本寺のイメージと言えば……歴史あるお寺。美しい紅葉。静かな参道。多くの人にとってはメジャーな観光名所であり、フォトスポットという印象なのでしょう。
でも、僕にとっては「遊び場」でした。
── 40年以上前。
小学生だった僕は、バケツと釣り竿、そして餌の「ちくわ」を握りしめ、家のすぐ近所にあったこのお寺に毎日のように通っていました。当時、境内には少し汚れた沼のような池があり、そこでザリガニを釣るのが日課だったのです。
泥だらけになって駆け回っていた、かつての少年。そんな僕が今また同じ場所に立ち、手には釣り竿ではなく、成長した娘の姿を撮影するカメラを持っています。
あんなに小さかった自分が、今は還暦を前にした父親としてここにいる。
泥んこ遊びをしていた場所で、こんなにも美しく着飾った娘の写真を撮っている。
背景に広がるのは、当時と変わらない美しいお寺の風景。しかし、その景色がこれほどまでに心に染みるのは、そこに積み重ねられた「時間」があるからなのでしょう。
過去の自分と現在のわが娘が交錯する不思議な感覚。それは、言葉では言い表せないほどの感動でした。

金髪ダンサーと振袖の意外なマリアージュ
主役である次女についても触れておきましょう。
彼女は今、大学のダンスチームで活動しています。その髪色は、見事なまでの金髪。まさに「キンキン」です。
正直なところ、撮影前は少し心配でした。「伝統的な日本の着物に、あの派手な金髪が合うのだろうか?」と。古都・鎌倉の厳かな雰囲気に、浮いてしまうのではないかという親心(余計なお世話?)があったのです。
しかし、蓋を開けてみれば、それは杞憂でした。鮮やかな着物の色彩と、彼女の輝くような金髪。それが妙本寺の空気に溶け込み、現代的でありながらも凛とした、独特の美しさを醸し出していました。
古い格式の中に新しい風が吹いたような、そんな新鮮な驚き。
「案外、悪くないな」
いや、親バカを承知で言わせてもらえば、とても可愛かった。
妻、妻の姉、僕の母、そして義理の母。女性陣に囲まれた華やかな家族写真。シャッターを切るたびに、家族の歴史がまた1ページ刻まれていくのを感じました。

親の心、子知らず──それでも愛おしい家族の時間
感動したという話ばかりしてきましたが、そう甘くはない現実の話も少々。
撮影当日は、とにかく寒かった。本当に、骨の髄まで冷えるような寒さでした。それでも、こうして家族が集まれたことには感謝しかありませんが。
娘は普段、ダンサーらしくラフな格好をしています。困ったことに、僕の洋服ダンスから勝手にTシャツを持っていくこともあります。
大切にしている、好きなバンドのTシャツ。ヴィンテージものなのに……気づけば、ファッション好きの彼女が、その日の気分に応じたコーディネーションの一部にしていることもあります。
「おい、それ俺のTシャツだぞ!」
「Oh♪オッケー、借りるね」
自分の大切なものが、勝手に使われていく理不尽さ。でも、どこかでそれを嬉しく思っている自分もいるんですけれど。
泥だらけの少年だった僕が、いつしか父になり、娘に服を奪われ、そして晴れ姿に涙ぐむ。
妙本寺の長い歴史から見れば、僕たちの人生なんてほんの一瞬の出来事かもしれません。けれど、その一瞬一瞬が、僕にとってはかけがえのない宝物です。
ザリガニ釣りの思い出も、金髪の着物姿も、寒空の下の家族写真も。
すべてが繋がり、今の「僕」を作っている。静かな鎌倉のお寺で、改めてそう感じました。
娘よ、成人おめでとう。


