23歳で中東イエメンに出張。ひとつ間違えたら命の危機だった問答

1996年のこと。当時の僕は、23歳でした。日本のODAプロジェクトの一員として、中東のイエメンに約2ヶ月間出張したんです。

そこで待っていたのは、想像を超えるカルチャーショック。そして、一歩間違えれば命を落としていたかもしれない、危機一髪の体験をしました。

紀元前から続く歴史の国イエメンは石油には恵まれなかった

イエメンは、紀元前1000年頃から文明が栄えた、アラブでも最も古い歴史を持つ国の一つです。

かつては「インセンス・ロード(香料の道)」と呼ばれる交易路で栄え、フランキンセンスなどの貴重な香料を地中海世界へ運んでいました。コーヒーの名産地「モカ」があったのも、ここイエメンです。

ところが、隣国のサウジアラビアやUAEが石油で潤う中、イエメンは資源に恵まれませんでした。結果、アラブ諸国の中で、最も貧しい国の一つとなったのです。中には、2000年前に建てられた家に住んでいる人もいました。

僕が行った1996年は、南北イエメンの内戦が終わって統一された直後。まだ9.11の前だったので、日本人が普通に渡航できた時代でした。

僕のミッションは2つ。首都サナアにゴミ収集車を届けることと、3つの病院に最新の医療機器を贈呈すること。

アデンの港に着いた船から荷物を下ろし、各地を回りました。23歳の僕は正直、何がなんだか分からないまま、ただただ、がむしゃらに動くのみでした。

病院の入口で「武器を預ける」衝撃の日常

現地の男性は真っ白な衣装を身にまとい、腰には「ジャンビア」という伝統的な短剣を差しています。

さらに驚いたのは「カート」という葉っぱの嗜好品。葉っぱを噛んで出てくる汁に軽い覚醒作用があるらしく、みんな頬をぷくーっと膨らませ含んでいました。僕も試しましたが、口の中の感覚がじんわり麻痺する不思議な体験でした。

でも、一番の衝撃は病院です。入口に男の子が立っていて、袋を広げている。何をしているのかと思ったら、来院する人たちが次々と自分の武器をその袋に入れていくんです。

ピストルを当たり前のように持ち歩いている世界。日本で育った僕には、まるで映画のワンシーンのようでした。

「アメリカは好きか?」と聞かれて……

ある休日、現地スタッフと2人で砂漠を見学に行きました。

広大な砂の景色に見とれていたら、突然、武装した男たちにワーッと囲まれたんです。

まだ若くて怖いもの知らずだった僕は、向こうから「写真を撮るか?」と言われ、喜んで一緒にカメラに収まりました。銃を持った男たちと並んで笑顔の写真。今考えると、信じられません。

そして、突然、こう聞かれたんです。

お前、アメリカは好きか?

通訳を介してその質問を聞いた瞬間、直感的に悟りました。ここでまともに答えてはいけない、と。

「いいところも悪いところもあるよね」と濁しながら答えました。

すると相手は、「そうだよな。日本は原爆を落とされたもんな」と、妙に納得した表情で頷いたんです。

イエメンは、かつてオサマ・ビンラディンの拠点があった土地。後から考えれば、あの人たちはほぼ間違いなくアルカイダの関係者でした。

もしもあのとき、無邪気に「アメリカ大好き♪」と答えていたら、おそらく今、僕はこの記事を書いていないと思います。

あの瞬間の「機転」が、僕の人生を救いました。

~後編へ続く。

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この記事を書いた人

総合商社で中近東および中南米向けの機械輸出ビジネスに従事した後、大手コンサルティングファームにてディレクターとして日本企業および欧米企業のグローバルプロジェクトを担当。2012年よりロサンゼルスに活動拠点を移し、2人の仲間とともに「Exa Innovation Studio(EIS)」を創業。

現在は、EISで日米欧の新規事業開発に取り組むと同時に、2020年に創業した日本特有の天然素材と道具を組み合わせたウェルネスブランド「Shikohin」および新規事業育成ファンド「E-studio」の経営に従事 。

起業家の世界的ネットワークであるEntrepreneurs’ Organization(EO)のロサンゼルスおよびラテンアメリカ・チャプターのメンバーとして、多くの若手起業家のコーチングに取り組む。2016年よりアクセラレーター「Founders Boost」でメンターを務め、多くのスタートアップのアドバイザーを務める。

慶應義塾大学環境情報学部卒業。